『告げられる冬』 田中ましろ
ひとつだけ思い出すなら夏の日の海に浮かんだ父子の一枚
とりどりの線でこの世とつながってしずかに隆起している身体 *
上履きが片方なくなるようにして例外はなく人は死ぬのか
寝返りをうまく打てない身をよじり意識の奥に意思は生まれる *
父だけが止まり続ける部屋を出て冬いちめんに冬の到来
手術中ランプは光る希望など持つなといわんばかりに赤く *
波は打つ 潮は満ちゆく ましかくの海に身体を横たえるとき
いおうええあえいああいと舌の無い口に背中を押されて帰路は *
どこまでも子と思い知る(父が父が)ナースコールのボタン重たく
何回も書いては消して最後にはだいじょうぶだと書かれたボード *
使用済みカードに穴はあけられて 区別 その二文字の空しさ *
識別子西519 手首にてネームバンドはくるくるまわる *
麻薬おしえて麻薬ほんとうの痛みを隠した人にかける言葉を *
冬の日の死に近づいた人の目にひかりを入れる医師のゆびさき
開かれて縫い合わされて手のひらはいびつな顔をたしかめたがる *
真夜中の待合室の動かない空気を肺に満たす たす け て
告げられた余命をしまう場所がなく空を行く鳥見上げて父は
点滴のしたたる音は海となる父子やすらかに目を閉じるとき *
新聞をとどける仕事ひとつ増え病院までのゆるやかな坂 *
死を待つのではなく死へと進むのだ 花は花瓶でなお咲くように *
まんまるい言葉ばかりだ なにひとつ死の感触を知らないわたし
無加工の現実が廊下を歩く ゆっくりたおれないよう ゆっくり
丁寧に死を織り込んだ同意書は凛としたまま異をねじふせる
親の顔したがる親の口もとへ水を差しだす病室の午後
嘘ばかりだった口から(つかれたよ)こぼれて落ちたものをあつめる *
ラジオからサラブレッドが駆けていく午後はふたりでそれを見送る
動かない手で手をつなぐ人間を描いて不思議な父の約束
ふたりして雲をながめる日々に慣れ もう春だろう窓の向こうは
ひとつひとつが最期のようで焼きつけるストレッチャーはなめらかに行く
「がんめんをふたつにわってわるいものすべてとりますそしてとじます」 *
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*印は新人賞候補作として短歌研究9月号に掲載していただきました。
3年前の父の手術から感情を整理して短歌になるまで随分と時間がかかりましたが、
きちんと形になり、さらに評価までいただいたこと、本当にありがたいかぎりです。
穂村さんの読みが完璧すぎて評を読んで泣きました。
このテーマだったから評価された、と言われないように引き続き頑張ります〜。
この度はおめでとうございます。
短歌研究、拝読いたしました。
ノンフィクションのテーマで詠むのは
感情があふれ出てしまうことと思います。
淡々と紡ぎ出される一首一首に
時が止まったような印象を受けました。
焦燥や苦悩はそれほど私には感じられず
しずかに流れてゆく感じです。
「ひとつだけ思い出すなら夏の日の海に浮かんだ父子の一枚 」
最初の一首、好きです。
私も病院の匂いが近くにある生活を
送っております。
いくつになっても子は子。
そして親は親なのだと。
いろいろ考えさせられました。
ますますのご活躍をお祈りしております。
応援しておりますー★
いつも裏うたらばへのコメントありがとうございます〜!
感情が溢れすぎたら作品としても強さは薄れると思ったので
客観視できるまで心が落ち着くのを待ちました。
だからでしょうかね、時が止まったように思えるのは。
父は父扱いしないと怒る人なので
身体がどうなっていようと僕は子を演じます。
そういう関係もまあ、アリだなぁということで。
今後の課題はこういうテーマじゃなくても
きちんと評価される作品を詠むことですね(笑
気を緩めずに精進いたします〜